大阪の人は、石切神社のことを「石切さん」と親しみを込めて呼びますが、「石切さん行こか」というときは、神社が目的ではありません。
たいていは、石切さんの参道が目的なのです。
それも「占い」です。
かつてはシャーマン的な、もっと近寄りがたいイメージがあったのですが、今はすっかり占いの町と化してしまいました。
ちなみに石切神社の正式名称は「石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)」と言いますが、誰も知りません。
足にタコができたら、でんぼの神さん「石切神社」でお百度をしよう
まず注意しておかなければいけないことは、石切さんはものすご〜い坂道です。
大阪は東の端、東大阪市に位置しますが、お隣は奈良県なのです。
そう、石切さんはかの有名な生駒山脈の麓にあるのです。
そのため、参道は半端ではありません。
できればスニーカー、さらに言うなら登山靴がいいでしょう。ハイヒールなどで詣でた暁には、足にタコができてしまいます。
ま、石切さんと言えば「でんぼ」、いわゆる「おでき」「腫れ物」の神さんですから、お参りすればすぐに治るとは思いますが、用心にこしたことはないでしょう。
駐車場は石切神社に150台ほど止められる場所があるのですが、土日は満車なので、電車で行かれることをおすすめします。
参道目的の場合はなおさらです。
なぜって?
駐車場から参道は限りなく登り道が続くからです。
小ネタ隊のおすすめは、近鉄奈良線「石切」駅で下車して参道を下り、「石切神社」を参拝して、近鉄けいはんな線「新石切」駅から帰路に着くこと。こうすれば、オール下り。膝はガックガクになりますが、ハーハー言いながら登るよりは多少はマシかと。
「日本で3番目」を標榜する大仏さん
「石切」駅から、「石切神社」の方へ数分歩くと、ドデカい大仏があります。
これが知る人ぞ知る「石切大佛」です。
ツッコミどころ満載な大仏さんのため、ネット上では情報が混在していますが、「真実の追求」をモットーとする小ネタ隊的には、気になって気になって仕方がありません。
- 石切大佛を建立したとされる「阪本昌胤」とは何者なのか?
- 関西のあちらこちらに見られる「阪本●●」と、昌胤さんの関係は?
- 「日本で3番目」とはいったい何が3番目なのか?
石切大佛は石切の参道よりもナゾだらけなのであります。
小ネタ隊的「石切大佛」の考察
疑問その①「阪本昌胤」とは何者なのじゃ?
石切大佛の後ろに回れば、建立者の名前が書いてあります。
「阪本昌胤」というお方なのですが、参道のあちらこちらで見かける「四世 阪本昌胤」さんと同一人物のようなのですが、まず読み方が分かりません。
知りたくても、「阪本漢方薬局部」はもうずいぶん前から閉まっているよう。
ググってみても「阪本漢方堂」「阪本漢法製薬」「阪本薬局」など、いろいろな阪本さんが出てきて、いずれも発祥は石切。しかも扱っている物もほぼ同じです。
さらにググって、ウィキペディアや他サイトを見ても書いてあることが全部違います。
どれが本当なのでしょう。
と、苦節1ヵ月。ついに「阪本昌胤」さんの素性が判明しました!
この発見は東大阪から表彰されてしかるべきではないでしょうか!
ま、簡単に言えば「阪本」さんたちに電話して聞いただけのことですが…
「阪本昌胤」さんは「まさたね」さんといい、現在、尼崎市にある阪本漢法製薬を作った人です。
阪本漢法製薬のホームページには昌胤さんは掲載されておらず、初代社長は「阪本ふさ」さんとなっていますが、これは当時、昌胤さんが市会議員を務めていたため便宜上、奥さんのふささんを社長にしたとのこと。
そうなんです。
阪本昌胤さんは、マムシゲンやサカンポーで有名な「阪本漢法製薬」の実質上のオーナーだったのです。
疑問その②石切発祥の漢方薬店「阪本」のルーツは?
「阪本漢方」とググってもらえれば分かりますが、同じような感じの漢方薬局店がたくさんヒットします。
系列店のようでもあり、暖簾分けのようでもあり、はたまたいわゆるお家騒動のようでもありますが、これも気になって気になって仕方がありません。
また阪本昌胤さんとの関係も気になって気になって夜も眠れません。
で、今度は京都にある「阪本漢方堂薬局」に電話してみました。
本家は尼崎の阪本漢法製薬で、昌胤さんのお子さんたちの子孫がそれぞれ漢方薬局を営んでいるそう。
阪本漢方堂薬局も戎橋阪本薬局も、元をたどれば、みん〜な昌胤さんにつながっていたのです。
というわけで、漢方薬店「阪本」のルーツは昌胤さんだったのであります。
ちなみに、阪本昌胤さんは四世と書かれている通り、阪本家の4代目になり、5代目が故・幸左衛門さん、6代目が現・阪本漢法製薬の社長である勝義さんになります。
疑問その③何が「日本で3番目」なのか?
本当は、これにツッコミを入れたくて調べただけのことで、阪本家のルーツを探るなんて面倒くさい、いや大それたことは毛頭するつもりはありませんでした。
で結論は「当時、日本で3番目に大きかった」とのこと。
昭和55年建立で、高さ6メートル。
阪本家に首を突っ込んでいなかったら、ツッコミまくっていたでしょうが、取材に協力していただいたので、今日はこのへんで。
ま、大仏といえば、奈良と鎌倉がツートップで、3番以下はそれぞれがそれぞれの言い分で主張しているのでしょう。よって日本三大大仏は、奈良と鎌倉、そしてオラが町の大仏ということで。