アメリカンフットボールの試合中に起こった悪質タックルに関するニュースが連日報道されていますが、ここに来てわが母校、関西学院大学の評価が急上昇しています。
「関西でモテる大学どこ?」の記事で、その知名度のなさから4位にランキングしてしまいましたが、今や知名度は抜群。関大と間違われることも少なくなりました、たぶん。
この数日で、京大につぐ、2位にランキングしてもいいのではないでしょうか!
関学の記者会見を取り仕切っていた男性は?
5月26日に行われた関西学院大学の会見をご覧なった方も多いでしょう。
あまりにもお粗末な日大の会見に比べて、関学の神対応は高い評価を得て、「あれ、誰や?」という声も聞かれます。
会見を取り仕切ったのは、小野宏ディレクター。
日大からの回答書の矛盾点を指摘し、記者の質問に対して理路整然と答える対応に、SNSなどで賞賛の声が上がっています。
実はこの小野ディレクターは、小ネタ隊とほぼ同期。小野ディレクターが関学ファイターズのQBとして活躍していた頃、小ネタ隊はその他大勢として応援していたのであります。
東京からアメリカンの名門、関西学院大学へ
名門関西学院大学の名QBとしてチームを引っ張って来た小野ディレクターが理路整然なのは当たり前の話。QBというポジションは、司令塔として全体を見渡す力が必要なため、アホではできません。
小野氏は1961年東京都生まれ。1976年に都立戸山高校でQBとして活躍。卒業後、遠く離れた関西学院大学理学部に入学しました。
当時の大学アメリカンフットボールは、西は関学、東は日大の黄金期です。東京出身の小野氏が日大に入っていた可能性は十分にあったわけです。
しかも小野氏は理学部の出身。
文系中心の関学のなかで理系学部は当時、理学部しかなく、かなり異質の学部でした。
文系の学生は、授業に出なくても4年間で卒業できますが、理学部は実験やレポート提出など
が多く、遊んでいる暇はありません。
小野ディレクターは勉強もできるし、スポーツもできる、超優等生だったのであります。
卒業後は朝日新聞記者としてスポーツ界を客観的に見る力を身につける
関学卒業後、朝日新聞記者として活躍し、1993年より母校関学に戻ってコーチに就任。
就任後、甲子園ボウル7度優勝。2002年には、大学対社会人のライスボウルに勝ち、母校を日本一に導いています。
2002年に関西選抜メキシコ遠征コーディネーター、2005年に日本代表攻撃コーチに就任し、2013年より関学ファイターズディレクターとして現在に至ります。
つまり、小野氏は誰よりもアメリカンフットボールを愛し、誰よりもアメリカンフットボールに精通した人物なのです。
「勝利至上主義」のどこぞの監督やコーチ、上から目線のもと記者上がりの広報担当者とはわけが違うのであります!
保護者からの評価も対照的だった記者会見
保護者からの評判も対照的でした。
日大の保護者や学生からは怒りの声があがり、「情けない」「恥ずかしい」「就職が心配」という声が聞かれます。
同大学の危機感理学部などは、マスコミの格好のネタとして取り上げられ、今回で付いたマイナスイメージは受験生獲得にもかなりの影響が出るものと思われます。
一方、関学は高評価。
母校愛を抜きに客観的に見ても、「大学のあるべき姿」を見せてくれたと思います。
関学QBのお父さんの言葉が印象的でしたよね。
「息子を関学に行かせてよかった」と。